第5回 「頭声」と「胸声」
先日BSプレミアムで放送された東京文化会館での「トゥーランドット」を観ました。「トゥーランドット」は私が最も好きなオペラです。私は大抵のオペラはテノールがどのように歌うのかが楽しみで、勉強のためにオペラを聴くことが多いのですが、このオペラは違います。私はこの「トゥーランドット」のカラフを東京で演じたこともあるし、「誰も寝てはならぬ」は多くのコンクールやコンサートで歌いました。それにも関わらずこのオペラの主役はタイトルロールの「トゥーランドット」でもテノールの「カラフ」でもなく、私の中の絶対的主役は女奴隷の「リュウ」です。オペラを良く知っている人は同じことを言うかも知れません。その理由はこの題材が、作曲をした「プッチーニ」の私生活と関係しているからです。プッチーニの家には、彼を尊敬し、心の底から尽くしてくれるお手伝いさんがいました。彼の妻はあまりにも仲の良い夫とお手伝いさんの仲を疑います。余りにも強烈な嫉妬にお手伝いさんは耐え切れずに自殺をしてしまいます。しかし、実際にプッチーニとお手伝いさんの間には男女関係はないことがお手伝いさんの死後証明されます。プッチーニは彼女の死と、リュウの死をその経験を重ね合わせながらオペラを書いたといわれています。オペラ「トゥーランドット」にはこの「リュウ」に3曲ものアリアを与えています。「トゥーランドット」にも「カラフ」にも2曲しかありません。そして、「リュウ」の最後のアリアを書き終えた後、悲しみで続きが書けずに絶筆。プッチーニの魂がこのリュウのアリアに込められているのです。プッチーニの死後、弟子のアルファーノによって現在の「トゥーランドット」は完成されます。プッチーニを偲ぶような演奏会では今でも、オペラの最後まで演奏されずにこの「リュウの死」のアリアで幕を閉じることもあります。
本日、これを書きたくなったのは、この放送でリュウを歌っていた中村恵理さんというソプラノ歌手が素晴らしく、何時間もたった今でさえドキドキしているからです。中村恵理さんはニューイヤーオペラコンサートや東急ジルベスターコンサートなどにも出演していてメジャーな方です。大阪音大、同大学院を卒業後、オペラ研修所を経て、現在ミュンヘンを拠点にヨーロッパと日本を中心に活躍されています。彼女のリュウは私が観てきたどんなリュウよりも感情がストレートに伝わり、歌や演技が上手だとかいうことを感じさせること以上に、プッチーニの言いたかったことが伝わってきた演奏で、私は嗚咽と涙が止まりませんでした。普通の演出ではリュウが死んだ後、遺体は舞台の外に運び出されるのですが、この舞台では最後まで舞台に放置され愛に目覚めたトゥーランドットが、リュウを愛おしみ抱き寄せたり髪を撫でたりしているところも中村恵理さんのリュウだったから、そこに残しておきたかった。あるいはト書きにはないプッチーニの想いを演出家があえてそこに反映させたのかと感じました。
この夏、桜丘の生徒たちは東京国際声楽コンクールと全日本学生音楽コンクールに出場しました。「With…ウィズ」の公演に向き合いながら心の休まる時もなく私と共に忙しく過ごしました。予選、准本選とも高2の3人がそれぞれに今の力をシビアに、それも点数まで出て評価されました。しかし、その点差はわずかなもの。そして、審査員によって順位がバラバラ。でも、高校生に何を求めるのかは審査員である一流の歌手や先生方によって大きな違いがあります。しかし、私はとても真実味のある点数や講評を読んで、この大会に出て良かったと感じました。
全日本の方は高校生でもプロに負けないような声や表現力を持ち、「私は1位を取ってオペラ歌手になるんだ!」という気合が声に乗り、音程はもちろんの事、フレージング、表現力もノーミス。「さすが名古屋」フィギュアスケートの大会を観ているような凄い高校生が3~4人いました。特に今年は高2が凄くて桜丘の生徒たちや、観に来ておられたお母さん方に大きな刺激になったのではないかと感じました。どこの学校の生徒が凄いとかではなく、「どれだけこの世界を知りたいか」とか、「どうしたらオペラ歌手の声が出るのか」を考える能力がその生徒に備わっているという高いレベルに到達していることを肌で感じられたのではないかと思います。でも、服装や化粧もフィギュアスケート並みでした。全国大会に行くと東京や大阪の生徒でさえ制服ノーメイクで出ている生徒が多いのに、「観ていて恥ずかしい・・」と思うのは私だけでしょうか?上手な生徒は「オペラ歌手になり切っている」ように見え違和感が出ないのですが、そうでない生徒はドレスやメイクだけが目立ってとても情けない感じでした。
●発声のお話は「胸声」「頭声」について
合唱をしている時に、特にアルトの人に「地声はいけません」という事があります。そうするとすべの音域を「裏声」で歌おうとして声量が出なくなることがありますね。反対に、ソプラノの人は高い声が出るのに低い声が出なかったりして声量も出ないことがあります。高い声を金属的な強い声で発声すると注意されることもありますね。歌う声は「地声」でも「裏声」でもなく、それに少し似ている「胸声」「頭声」なのです。そのチェンジをうまくいかせるために胸声と頭声を混ぜた声を「中声」と呼ぶこともあります。
低い声が「地声」。高い声が「裏声」になって声楽的な声にならないのは、どちらも喉の奥(鼻の奥)が開いていなくて呼吸と響きがつながらないからです。喉の奥が開くと副鼻腔が自然に響くようになり頭蓋骨も響くと言われています。そして、からだを開くとろっ骨などの胸の骨やからだの骨が響くようになります。しかし、喉の奥を開けたまま、からだを外に広げるようにしたまま声を出すことは容易ではありません。吸っているようなフォームで息を吐き続けるのが声楽です。声楽を何年、何十年もやっていてもこの感覚にたどり着けない人がいるかと思えば、もともとできている人や、すぐにつかめる人もいます。そして、厄介なのが「舌根」です。口を開けようとすると、人は喉の奥を保護しようとして舌根が軟口蓋をふさごうとします。そのまま声を出すと金属的な音は出るのですが、強弱のつかない非音楽的な声になります。強い声を要求される時には舌の先を上げて舌根を下げている人もいるくらい喉の奥を開けたまま舌根に力を入れずに平らにして歌うのは、大きな声を出そうとするほど難しいことです。そこで、「あくびをするように歌いましょう」とか「あくびをがまんするように」という指導があります。あくびは生理的な動作ですので無駄な力を入れずに最大限の酸素を肺や脳に供給します。しかし、息を吸い込む動作なので「歌をうたう時にあくびをしろ!何てできるわけがない!」と思うのが普通でしょう。しかし、それができなければ声楽の道に足を踏み込むことはできません。「A」や「O」の開口母音はあくびのフォームで発音できても、「I」や「E」をのどを開けたまま出すことは日本人にはかなりの訓練が必要だと感じます。また、歌はことばを発音しなければなりません。子音を発音する時は口が閉じたり舌やあごが動いたりします。それを、あくびをしながらするには、子音を発音している時も、すぐにあくびができるようにのどの奥を開けておかなければなりません。注意しなければならないことは開けようと思って開けるとどこかに余分な力が入ってしまうことです。舌根を下げようとしても同じです。なので、自然にあくびをする動作を身に付けることがとても大切だと思います。
胸を広げることも大切です。私は、日本に帰ってきてからも喘息がなおらず、胸に声を入れて歌う事ができずに脱力と頭声で歌えるように声を軽くし、歌うレパートリーも変えて練習していました。若い頃はたっぷり胸声を使って重い声を出していましたので、からだの調子の良い時は声が出て、そうでない時は歌えませんでした。胸に声を響かせるとからだ全体が使えて声量が増します。しかし、頭部の共鳴とのバランスが崩れやすくなります。ですので、体幹が弱かったり肺活量が少ない人。小中学生は大きな声を出そうとせずにまずは喉の奥の開いた「頭声」を勉強することが大切です。でも、「地声で歌っちゃだめ」と思いすぎて「裏声」で学校の歌のテストを受けると聞こえなくて良い点数が取れません。小中学生でもしっかり声が出る人は自然にのどの奥が開いている。または。Cantabileの発声練習や個人レッスンで開くようになっていることや、からだがしっかりと鍛えられているなど多くの要因で、「胸声」が響いている事が考えられます。
自然に良く響く声を持っている人は大学生くらいまではとても有利です。しかし、それまでは声が自然に響かなくても、からだを鍛え、勉強や音楽の練習をして明晰な頭脳と良い発声を身に付けた人は、それからの音楽人生が変わります。子どもの頃優秀で結果を出すとかは音楽の世界だけでなく私はあまり意味がないと思います。あの全日本学生音楽コンクールで凄い演奏をしている高校生は藝大に現役で入っていくでしょう。でも、声がヘロヘロしている高校生が大学を出るころに彼女たちを超えていることもあります。
将来どんな感じに歌えるようになるかわからない声楽を勉強することに不安はつきものです。しかし、その不安以上に面白い世界です。声の事だけでなく音楽や詩、戯曲の世界に興味を持ったり、語学の勉強へと広がっていくとずっと勉強していたくなります。イタリア語がほぼわかってオペラを聴くことができるようになった時の感動は凄いものでした。でも、自分の歌を録音して聴くとイタリア語に聴こえなくてがっかりするようにもなります。また、オペラの舞台で演技を勉強すると、舞台はもちろん、テレビドラマや映画の世界も見方が変わってきます。細かい演出やセット。色合いや影の使い方。俳優の見せ方、それぞれの俳優のセリフや演技の特徴、監督の個性・・・。
音楽や演劇の世界は知れば知るほどしびれます。やるのも良し。観るのも良し。でも、それをして1番になりたいとか、受験のためとか、お金のためにやらないで欲しいです。好きでたまらないのでその世界に足を踏み込んで、永遠に愛し続けて、その結果が出たら幸せ。もしかしたら、死ぬまで結果が出ずに続けていられる方が幸せかも知れません。
第4回 「人前で脱力してパフォーマンスができる人は偉大です」~脱力の話~
大河ドラマの終わりで、モスクワオリンピックに日本が出場辞退して「300名ほどのアスリートの夢が断たれた」という話の最後に、その代表に選ばれたものの、夢の舞台に立てなかった柔道の香月清人さんの肉声が聞けてとても感動しました。香月さんはその後現役を引退し指導者に転向しました。「挫折を経験しましたが、今、指導者ができることに感謝しています」・・・
大河ドラマは台本作者の解釈が広くてフィクションも多いと言われますが、日本の歴史や日本人を知る上でとても役立ちます。また、歴史上の新しい解釈を知るという点では「らららクラシック」に通じるものがあると思います。音楽科の生徒は毎週「らららクラシック」と「題名のない音楽会」を観て簡単な感想を書くことが課題になっています。ちなみに「題名のない音楽会」で司会をしている俳優、ミュージカル俳優の石丸幹二さんは大学で私の同門の後輩。由佳先生とは1学年しか違いません。由佳先生の同級生には葉加瀬太郎がいます。クラシックの技法を身に着け、そこを離れて活躍している人もたくさんいます。松山先生も大学は声楽科でしたが、在学中から舞台に興味を持ち演出の道に進まれました。
モスクワオリンピックのエピソードで有名なのは、補欠出場が決まっていた後、オリンピックがなくなり、プロボクサーに転向した難波のロッキー:赤井英和。(引越センターのお兄さんで有名ですが・・)この人の人生も壮絶で、「世界タイトル戦に絶対に出場できる」と言われていましたが、格下の大和田正春にKO負けして意識不明の重体。ドクターストップがかかって2度とリンクに立てなくなります。その後、大学のボクシング部のコーチとなり、後に俳優へ転向。映画「どついたるねん」は赤井さんの初主演作。何とリンクで大和田正春との対戦が演出されています。実際のエピソードを知っていてこの映画を観るととても感動します。大和田さんも最近テレビに出ていましたが、赤井英和をKOし重体に追い込んだ後は、パンチが打てなくなった時期が続いたと言っていました。生死をかけた凄いスポーツですね。
「モスクワオリンピック」と聞いても、Cantabileのみなさんや父母のみなさんもあまり記憶がなく「教科書で習う」ことかも知れませんね。私は高校生でした。その頃「冷戦」と呼ばれるアメリカとソ連を中心とする資本主義諸国と社会主義諸国の対立がありました。ソ連がウルグアイに侵攻したために、西側と呼ばれるアメリカ陣営がモスクワオリンピックをボイコットしたのです。その4年後のロスアンゼルスオリンピックは反対に、東側がボイコットしています。世界情勢がスポーツに人生をかけている人たちの夢を奪うなんて大変な世の中でしたね。モスクワオリンピックは1980年。ロスアンゼルスは1984年。そして、1989年にベルリンの壁が崩壊してようやく東西冷戦の終焉です。チェリストのロストロポーヴィチ(ロシア人)が崩壊後の壁の瓦礫の中で演奏会をしたり、バーンスタイン(アメリカ人)が東西の混合オケと合唱でベートーヴェンの「第九」の演奏を行い、「フロイデ!」(歓喜)という歌詞を「フライハイト!」(自由)に変えて演奏した映像は今でもDVDで鑑賞することができます。東の民族衣装を着た子どもたちも歌っています。音楽は国境や人種を超越できるものだと実感できた思い出があります。みなさんの勉強している音楽はとても尊いものです。
さて、発声の話は最近みなさんに教えている事:脱力の話です。
人は、一生懸命になるとどうしても力が入ってしまいます。特に日本人は真剣になると表情が硬くなり暗くなります。私は長年歌の世界にいますが真面目な人、努力する人が上達し、成功するとは限らないのはなぜか?と考え続けていました。私は、最近みなさんに「歩きながら」とか、「こんにゃく体操をしながら」自然な呼吸や発声を心がけています。「こうすべきだ!」と教えるとみなさんのからだに緊張がおこり固くなります。「姿勢良く!」と言っただけで体育の時のような整列の固い姿勢になる人もいます。でも、歩きながらでも歩く姿勢が悪かったり、脱力していてもあごが上がっていては効果がありません。私は時々みなさんに面白い事を言ったり、変な顔をして笑わせることがありますが、みなさんがあまりにもくそ真面目な固い顔をしているからです。「笑顔で楽しそうに規律正しく」が日本人は不得意です。外国の人たちと一番違うところだと感じています。また、みなさんは笑わせるといつまでも笑っていて盛り上がってしまい規律がなくなります。リーダーが「シー」と言えるようになってきたのは年長者の成長ですね。
発声を良くするには自分で自分をコントロールできる能力を持つことが大切です。歌は自分を表してしまいます。「自分の何が良くて何が足りないか」を知ることが大切ですね。楽しい歌は楽しく、悲しい歌は悲しく「他人に伝える」には自分がそんな気持ちになる以上に、人に伝える力を持たなければなりません。「伝える」「伝わる」には「力み」はいりません。力むと伝えた気になっていても他人は「?」とか「怖い!」で引いている場合も多いですね。それは脱力ができていないからです。実際にこんな状況を見ました。ある上手なソプラノが凄い声で歌い出しましたが、客席の前方で聴いていた子どもが突然泣き出したことがあります。子どもは正直です。「怖かったのです」きっとその歌手はなぜ泣いたのかわからなかったと思います。
歌う時は鏡を見て自分をしっかり見つめましょう。そして、絶えず心の鏡を使って自分が今、どのように感じ、どのように思うべきなのかを絶えず考えることが大切ですね。ステージに立つ時は、観客がどのように感じるかにアンテナを高くしてコミュニケーションをとるつもりでのぞみたいものです。お客さんは決して立派な大きな声ばかりを聴きたいのではありません。
自分を知るためにも日記をつけると良いです。そして、読み返してください。
音楽科では「毎日の生活記録」を書かせています。今年度から私の声楽の生徒には「レッスンノート」も書かせています。自分のしていることは意外とわからないことが多いです。教えていても生徒は覚えていないことがほとんどです。私はノートを読むと、その生徒の長所と短所がわかります。なぜ上手になるのか、なぜ上達しないかも見えてきます。会話や歌からはわからないことが、文章や文字、余白から伝わってきますし、生徒の状況や、これまでどのように生活してきたかもわかります。感情がしっかりと伝わってくる文章があれば、気持ちのない文章もあり、その日の体調までがわかります。強い部活の先生方が部員に「部活ノート」を書かせる意味がよくわかりました。私は「ノートや記録をとる時間があったら、英単語の1つでも覚えた方が良い」と思っていましたが、彼女たちの書く文章や実践から「この生徒は今、何を教えるべきか」がわかります。きっと、生徒たちも私のコメントを読んで、私がどんな人間か、何を求められているかを読み取っていることでしょう。コメントの方を読み返してみると、私こそが必死になると脱力できずに感情が溢れ、真剣になりすぎない方が冷静で力を出せる人なのではないかと思ってしまいます。でも、生徒や他人に好かれようが好かれまいが、そんな自分の方が自分らしくていいと思ってしまうのは、自分に嘘をつかずに(つけずに)これまで生きて来られたからではないかと思います。だから、この程度の人なのだとがっかりすることもありますが・・・。
必死になることと脱力をすることは、筋力をつけることとストレッチをして柔らかい筋肉にすることに似ていると思います。結局は努力することや勤勉であることは大前提ですが、遊ぶこともしっかり知っているような、すべてにおいてバランスの良い人が成長、成功すると思います。真剣になっても身体が硬くならない余裕のある人になるためには、時間を上手に使え、絶えずからだと脳を鍛えることのできる生活を送ることですね。そんな人になって素晴らしい歌手に育ってください!
第3回 呼吸とことば
昨日は桜丘高校の入学式でした。CantabileからはHさんとTくんが入学しました。本当にうれしいです。卒業してもずっと続けて欲しいと思います。音楽科分室も日中は窓を開けるくらい今日は日中の気温も上がりました。桜丘の桜が満開!浅倉川の土手も見事でした。
校歌を女声3部合唱する音楽科2,3年生
桜が満開。音楽館前から桜丘中学校を眺める
さて、今回は昨日みなさんに話したことを書いておきます。第1回で「からだや心を健康に保つこと」第2回で「良い姿勢で立ったり歩いたりすること」を書きましたが、次に大切なことは「いかに気持ちの良い呼吸をして口の中を自然に縦に開けることができるか」だと思います。人それぞれにイメージは違うと思いますが、私は「良い香りを嗅いで」幸せな気持ちになるようなイメージを持ってブレスをする。そして、その後、もっとその良いにおい嗅いでいたいと感じるようなあくびに近い状態を保つイメージをもった呼吸を歌い出す前に瞬時にできる訓練をすることが大切だと思います。これだけでも人それぞれにイメージが違いますしことばだけでは説明が難しいですので、レッスンの先生方やあなたが呼吸する様子がそのように見えるか客観的に判断してもらうことが大切ですね。
花のにおいを嗅ぐ時には口を閉じると思います。それが子音の「M」そこからあくびをするように母音の「A」を歌うと「MA~」と発声できます。時々、「M」をはっきり歌わせようと唇を強く閉じさせる先生がいますが、私はことばをはっきり発音するには「M」を強く閉じるのではなく、少し長めに発音するのがヨーロッパの発音(発声)だと思います。西洋の音符に日本のことばを乗せるには、ひらがなやカタカナを想像するのではなく、ローマ字を想像して子音と母音を区別してイタリア語を発声するようにするべきだという事を、大学や二期会で教えていただきました。母音についても日本語とイタリア語は5つの音からなっていて似ていますが響く場所や口の形も違います。しかし、アナウンサーなどはイタリア語に近い口形で話せるように練習すると聞きます。日本語を歌う時も外国語を歌う時も母音唱をして音がなめらかにつながるようになってから子音を発音するのが良いと言います。私はどれも行なっていますし、高校生や大人にもこだわって教えています。みなさんも実践してください。
第2回 まっすぐ立つこと
いきなりわたくし事ですが、娘が東京の大学に進学し家から突然いなくなりました。3月29日に決定し今日は4月2日です。
昨日、車で引っ越しを行い車中で今までの学校の事、友達の事、歌の事を娘に尋ねました。娘が思春期に入ってから私とはほとんど会話がなく、たまに母親がいなくて外食をした時に話をする程度でした。
引っ越しの車中での3時間以上にわたる娘の話はどれも初めて聞くことばかりでした。その中でも「友達が生活の中でとても重要であること」を感じました。私は生徒たちに「友人関係のごたごたに振り回されないで音楽の勉強に集中しなさい!」と言いますが、それは難しいことのようにも思えました。
娘は歌が大好きでした。4歳から私と一緒にステージに立ってきましたが色々な要因によりほとんど私が教えることなく時が過ぎました。豊橋を発つ日の前の晩に娘が「これからどのように歌の勉強をしたらよいか教えてください」とレッスンを頼んできたので基本的な練習の仕方をひととおり教えました。1カ月に1度豊橋に「魔女」を歌うために稽古に参加しレッスンを受けに帰ってくるようです。
私は東京から家に戻り、今までほとんど入らなかった娘の部屋に入りました。色々なものがなくなりガランとした部屋の一角に、ポケットオペラやカンタービレの本番でプレゼントしてもらったと思われるものがきれいに並べられていました。娘がこれからも歌いたいと思う力はここにあるのだと感じました。それを残して東京へ行った彼女の心は、この家に、そして、私やSakuraCantabileに残っていることを感じました。その後、下の階に降りていつも私の座る食卓のテーブルの位置に娘の本が置いてありました。
「B型自分の説明書」
たまたま忘れていったのか、何か私にメッセージがあるのかわかりませんでしたがこのイラストに見入ってしまいました。
こんなB型を理解できて愛おしく思い守ってあげられるのはAB型。A型の多い日本で娘は人間関係に苦労するのは運命です。でも、全然守ってあげてなかったな~。AB型はB型に振り回されるはすなのに、振り回してももらえなかったな~。反省しました。私はけっこう血液型の相性信じています。
昨年、千紗さんが私のレッスンに戻ってきて次は奏美。そして、河合千明さんの舞台などを見て「歌は続けていくことにこそ意義がある」という私の気持ちが生徒たちに届いているような気持になっています。女の子たちは「結婚した!出産した!歌はできません!」「彼のために生きま~す!」・・・
「歌はそんなに練習時間必要じゃないから続けなさい!」と、嘆いても、それもその人が幸せになるため。でも、もしかしたらポケットオペラやSakuraCantabileのステージを経験した生徒は続けてくれる人が多いかも・・・。愛先生も早紀先生もそうだし、内藤先生は私の生徒ではないけれど、そういえば「ジャンネッタ」歌ったな~。
発声の話は1つだけ。第1回に「あごが上がる」という表現がありましたが、あごは下げるのでもなく柔らかく使う。あるいは硬直しない。「あごを引く」という表現もありますが、引きすぎてもよくありません。中には姿勢が悪く、立っているときや歩いているときにあごが前に突き出ている人もいますが、それは日々の首や肩のストレッチなどで矯正する必要があります。あごの位置は声帯の位置と深く関係があります。からだは下の絵のように6つの場所を感じてバランスをとることが大切だと言われています。。自分のからだを横から見るのは難しいですが、大きな鏡の前で確かめながらまっすぐ立てるようにしましょう。しかし、力を入れてからだを固くしてはいけません。理想は頭のてっぺんが宙からつるされている感じと多くの先生から言われました。わたしが「いつまでも直そうとしないのは不勉強」というのは特定の人に言っているのではありません。直そうとしてもなかなかなおらないものですが、一番大切なことなのでみなさんが本気で取り組んで欲しいと願っていることです。ほとんどの私の生徒はあごを押すとスムーズに声が出ます。あごを押されると首や声帯の位置が正しく矯正されるからです。でも、自分であごを引こうとすると声帯をつかさどる筋肉に緊張が起こりどこかが固くなってうまくいかないことが多いのです。首がまっすぐに伸びあごが前に出なくなるには肩や首だけでなく腰から肩甲骨、背筋、腹筋、股関節まで意識してその筋力を鍛えて、「歌うぞ!」と思った時に構えず(固くならず)にまっすぐ立てることが必要なのです。まっすぐ立てないと練習しているうちに悪い癖がついてしまい、やがては声帯を傷つけてしまうかもしれません。もちろんからだの前後だけでなく左右どちらかに傾いていたりねじれていたりすることもあります。まずは、力まずにまっすぐ立てるように、まっすぐ歩けるようになってください。
第1回 イメージやひらめきが大切です。
みなさんが最近とてもまじめに発声練習をしてくれています。そして、もっと上手になるにはどうしたら良いかをみなさんは考え始めましたね。SakuraCantabileで歌っていると、とても上手な先輩の声を聴くことができるからではないですか?先生はたくさんの子どもたちが、あなたたちと同じくらいの年齢の良い歌声を聴いて「あんなふうに歌えたらなあ~」と思って声楽をはじめてくれることを夢見てSakuraCantabileをつくりました。きっと真剣に個人レッスンを受けている先輩たちが上手なので、多くの人が個人レッスンを受けるようになっているのだと思います。
今回は、発声練習やレッスンで一番気をつけて欲しいことを書きたいと思います。それは、
『歌わない時の練習は一生懸命努力をして毎日コツコツ行う。しかし、歌う時の練習はがんばらずに気持ちよく歌う』
ということです。
今、みなさんの声を聴いていると、何か新しい発声に挑戦して声が出にくくなっている人が5人以上います。「出にくい」というのは「気持ちよく歌えていない証拠」です。考えやイメージがあなたの頭やからだにマッチしていないのです。たとえレッスンの先生が「そうしなさい!」と言っていても、あなたのからだはあなたにしかわからないので、あなたが歌いにくいのなら、どのようにイメージすれば先生の言っているようなことができるのかを自分で見つけなければなりません。先生に言われた方法は1つのアドバイスで、それだけに頼るのは良くありません。要するに思考の柔軟さが大切。いつもたくさんのイメージを持って練習することが重要です。
他人を感動させられる人になるには「1%のひらめき」が大切です。エジソンは「99パーセントの努力」こそが大切だと言ったのではない。という事を知っていますか?成功したい人は努力することは当たり前なのです。でも、努力してもわからない1%のひらめきを得た人がプロフェッショナルになれるのです。東京藝大が東大より難関だという人がいます。藝大に入った人は全くそんなふうには思いませんが、東大は勉強する方法と勉強時間さえ確保すれば入れる学校だと英数科の先生方も塾の先生も言います。しかし、東京藝大はいくら努力しても浪人しても入れない人がいるかと思うと、意外と努力しなくても入っている人がたくさんいます。それは、教師に言われたことにイメージを持って音にできる「ひらめきの引き出し」がたくさんあるからだと感じます。私の生徒で藝大に行った松下真もそうでした。私に言われたとおりにするだけでそれ以上は何もやらずにいつも楽しいことに熱中していました。いつも空想し物語を作ることが上手で、よくひとり芝居をしたりものまねをして周りの人たちを笑わせていました。レッスンでは私にまっすぐに向かってきてくれて、素直に勉強し私から多くを吸収したので、スポンジのような生徒だと思い「もしかしたら私よりもイメージの引き出しが多いのでは?」と感じることもありました。
そんな生徒は彼だけでなく高校生で声の良く響く生徒はそんな同じような感じがします。でも、ひらめきの多い人には99%の努力ができない人が多いことも事実です。天才はなかなか現われるわけではありません。
声楽は「このようにするべき」という事はあまりたくさんありません。また、するべきことをやりすぎると力が入って逆効果なこともあります。いったん歌を歌う気持ちになったら気持ちに任せられるようになると、とても素敵な声が出るはずです。目を輝かせて毎日楽しく歌っている小学生や中学生はとても上手になります。
「先輩のように歌いたい」「先生のように歌いたい」「上手に大きい音や高い音が歌えるようになりたい」は良くありません。それは、だれかのマネになるからです。あなたの声やからだはあなたが天から与えられた唯一のものです。真似をしたいその人はたぶん年上であることが多いと思います。鍛えられている人の声のマネをしようとするとあなたの歌は一時とても上手になりますが、少し経つと喉やからだが悲鳴を上げてしまいます。私のような男声に女声が教わるのが良いと言われるのは、同じように歌うことが想像できないからです。同性の年長の重めの声を聴くとうまくならないことが多いのは、からだが自然にその声をまねようとするからです。「私の声をまねないで」と言って意識してくださる先生は正解だと思います。「こうしなさい」「わたしの歌をまねしなさい」は間違っていると思います。一緒に歌い始める先生はとても危険です。ただし、初期の段階で音が取れない人へのレッスンや、一緒におなかをさわりながら歌うというのは大切だと思います。
まずはあなたを信じることからはじめてください。そして、謙虚に柔軟に指導者の指示に従ってください。間違えてはいけないことは「自分勝手に歌え」という事ではありません。先生の指示とおりにするのは当たり前の事。先生方から与えられた宿題や発声の課題が勉強不足で追いつかないとか「あごが上がるのを直しましょう」といって何年経ってもそうしようとしない人は、生活習慣や考え方を変えなければなりません。
さて、学生が歌を勉強する時に大切なことは『歌わない時の練習』です。これは、どんな練習なのでしょう?
それは、
① 楽譜を読みそこから音楽の構造とイメージを得る練習
●ピアノを毎日弾く事やソルフェージュの勉強をすること。
ある偉い音楽家の先生は「声楽の本格的な勉強は高校生になって声が成熟してからの方が良い。それまでは、ピアノやヴァイオリンなどを一生懸命行い、音楽を勉強するほうが良い」と言っておられました。サラ・オレインはヴァイオリニストでシンガーですが、声楽の勉強はほとんどしていないそうです。彼女の声は上手なヴァイオリンを弾くようなイメージと同じ声が自然に出るのだと言っていました。
また、私の桜丘の後輩でイタリアのヴェルディ国際声楽コンクールで優勝した凄い人がいますが、その人は愛知県立芸術大学を卒業した後、ローマのサンタチェチーリア音楽院の先生に弟子入りし、2年後に音楽院に入学しますが、その先生から「歌は長い時間が必要だからピアノをしっかり勉強しなさい」と言われ、2年間ピアノ伴奏、さらに2年間室内楽のピアノパートを勉強してようやく次の2年間声楽科に入りその8年間は常に発声の基礎ばかりを行い本物の声を見つけました。
いかに、本当の歌がうたえるようになるには急がないこと、辛抱強く勉強を続けることが必要だということがわかるかと思います。その間に音楽とは何かを見つけることも大切です。みなさんには、まずは早く楽譜から音楽を感じられる力を身につけて譜読みに時間のかからない人になってもらいたいと感じます。でも、ここに書いてあることはプロを目指そうとする人にあてはまることで、そうでない人はそんなに音楽に向かって努力する必要はありません。きっと、声楽だけでなく何かに向かってプロフェッショナルになりたい人には参考になることでしょう。
それから、特にまじめな高校生は「良い大学に入るために」とか「学生コンクールで結果を残すため」に歌を歌わないでください。先生は松下真のように全国大会に行って、藝大に入ってくれれば嬉しいですが、からだのできていない高校生の歌なんてすごい方がおかしいとまで私は思います。松下の声はすごくありませんでしたが伸びやかで自由でした。そして、私の教えたとおりに歌ってくれました。目標は高い方が良いといいますが、それよりもからだや喉の成熟度がとても大切だと考えています。無理におとなのような声を出そうとするのは将来的に続けていくことができない要因になってしまいます。
② からだを鍛えて心身を丈夫にする
●先生の経験
私が今、世界や東京でプロとして活動をしていないのは、喘息がなおらなかったからだと思っています。今になると今まで海外や東京で続けてきた人に負けてしまったと残念に感じます。私は32歳の時に、風邪をひくと一カ月以上歌えなくなる恐怖から「歌で生活ができない」と挫折してしまいました。しかし、不思議なことにこの2年間は喘息の発作や長く続く咳も出ません。何か気持ちがふっきれたことでオペラを歌いたくて仕方なくなったからだと思っています。
「歌わなければならない」のがプロです。楽しいうちはプロにはなれないと思います。先生はたぶんプロ意識が高くて歌うことが苦しくてしかたなかったのだと思います。精神的に健康でないと喘息もおこるのかもしれません。
プロになれる根源は
『体力をつけて風邪をひかない身体を作ること』と
『楽しくなくても困難に立ち向かえる精神力』
『正しいことが判断でき決断を急がない忍耐力』
だと思います。
先生に欠けていたことです。先生は他に、声楽や合唱、音楽を教えたり、編曲をしたり演奏会をプロデュースする力があってそれが楽しかったことや、今まで多くの人が私の歌だけでなく私自身を必要としてくれて、それがうれしくて「歌で生活していくという辛い努力」を続けることから逃げてしまいました。でも、それぞれの時に精一杯やってきましたので後悔はしていません。
オリンピックに出場するような選手が「楽しかった」と言っているのは、パフォーマンスをしている時とそれが終わった瞬間だけだと思います。また、そんなことを感じたり言えたりするイメージトレーニングもしているのだと思います。それ以外は努力の積み重ねのはずです。歌も同じことが言えると思います。「楽しい」のイメージトレーニングも大切ですね。
初回はこれくらいにしておきます。歌は歌わない時につけておかなければならない筋力訓練やストレッチなども大切です。次回からはそんな話もしていきたいと思います。小学生には難しい文章かと思いますのでお母様方から簡単に説明してくださると助かります。
でも、このページは小学校4年生までの子たちには必要ないかと思います。だって、楽しく歌って、歌が好きになることがなければ声楽は始まりません。プロにならないで楽しく一生SakuraCantabileやシティオペラで歌っていくのも悪くありません。前に立って歌わなくても、合唱も本当に奥が深くて面白いですからね。